浄運寺について
浄運寺の歴史
浄運寺は、東京都町田市にある日蓮宗の寺院です。
天正5年(1577年)、日蓮宗総本山・身延山久遠寺の末寺として開かれ、町田の歴史とともに歩んできました。現在の寺地は、かつて矢部淡路守の屋敷跡と伝えられています。
創建当初の山号は「法用山」でしたが、寛保元年(1741年)に第八世・日心上人によって現在の「法要山」へと改められました。
長い歴史の中で本堂や妙見堂、鐘楼など多くの堂宇が建てられましたが、明治9年(1876年)の火災により諸堂を焼失。その後、歴代住職や檀信徒の皆さまの支えによって再建され、現在の本堂は昭和29年(1954年)に建立されました。
その後も、開山425年記念事業として本堂や境内の改修、山門・墓地整備などが行われ、現在の美しい境内へと受け継がれています。
法要山浄運寺 第三十一世住職 室矢教恵
住職プロフィール
平成4年
先代住職と巡り会い、平成7年に弟子となって出家
平成8年
信行道場に入行し、日蓮宗教師となる
平成12年
日蓮宗大荒行堂へ入行し、翌年成満して修法師となる
平成29年10月
浄運寺第三十一世住職に就任し、現在に至る
境内の史跡
妙見堂
境内にある妙見堂には「北辰妙見大菩薩」をお祀りしています。
妙見尊は北極星や北斗七星を象徴する仏さまとされ、古くから 【学業成就】 【商売繁盛】 【家内安全】 【海上安全】 【安産】 【眼病平癒】 【開運招福】 などを願う多くの人々の信仰を集めてきました。
毎年11月の酉の日には「妙見尊例祭」が行われ、多くの参拝者で賑わいます。
大須賀明
大須賀明(おおすが あきら)は、明治時代に町田で活躍した医師・政治家です。
自由民権運動にも携わり、多摩地域の政治や社会の発展に尽力しました。また、鶴川村の医師として地域医療にも貢献し、多くの人々から信頼を集めました。
浄運寺には、大須賀明の墓所があり、現在もその功績を伝えています。
長岡織部
長岡織部(ながおか おりべ)は、幕末から明治時代にかけて活躍した剣士で、神道無念流の流れをくむ人物として知られています。
町田周辺で多くの門弟を育て、地域の剣術文化の発展に大きく貢献しました。
浄運寺には長岡織部の墓所があり、地域の歴史を今に伝える史跡の一つとなっています。
組子障子
組子とは、お座敷の書院障子や欄間などに使用されている細工のことで、歴史も古く桃山時代の頃より建具職人により伝えられています。組子は一本の木の正面に見える厚さによって細工の細かさが違い、色柄は着色せず天然の木の色で組み分けて製作するため、木曽檜や二千年も土に埋もれていた神代杉・神代欅・神代栗など15種類から18種類の木材を匠の技で組み上げています。
当山の組子障子は平成大改修の時に造られ、建具22本を総組子で製作し、使用部品数は29万5千個にも及びます。(製作 塩澤工芸)
- 書院間仕切り「老松」
- 書院入口「扇の舞」
オリジナル御守り
浄運寺では御守り袋を手作りしています。手作りな為、同じ柄でもすべて同じ物はありません。
皆様にお色柄を選んでいただき、オリジナルの御守り袋を完成させて下さい。各種御守りを選んでいただき、3つまで収めることができます。
他にも交通安全やペットのお守り・季節限定の御守りなども有ります。
お守りについて
葬儀について(浄運寺会館)
浄運寺会館は檀信徒の他、宗旨宗派を問わず在来宗教・無宗教の方等、どなたでもご利用できます。但し、新興宗教・新々宗教・カルト宗教の方はご利用をお断りしております。
町田の駅に近く、町の中心にありながら喧噪とは縁遠い静かな境内、明るく落ち着いた室内は、ご利用いただく方々をあたたかくやさしくお迎えいたします。
通夜・葬儀・法事のほかに、いろいろな会合・文化サークル・貸し切りにてお使いいただけるコミュニティセンターです。
浄運寺会館について年間行事
| 太歳三ヶ日 | 祝祷会 |
|---|---|
| 2月15・16日 | 釈尊涅槃図 法華経画 一般公開 |
| 3月彼岸中 | 春季彼岸会 |
| 4月8日 | 釈尊降誕会 |
| 4月28日 | 立教開宗会 |
| 7月20日 | 施餓鬼会 |
| 9月彼岸中 | 秋季彼岸会 |
| 10月23日 | 宗祖御会式 |
| 11月酉の日 | 妙見尊例祭(酉の市) |
| 12月31日 | 除夜の鐘 |
| 毎月第一木曜日 | 写経会 |
| 毎月28日※7月・10月は休会 | 二八講 |
イベント/お知らせ
浄運寺は町田の市街地にありながら、静かな時間が流れる寺院です。